同情するなら金をくれ 伝説は死なず
2011年5月30日 17:44 | ひとりごと | Tag:雑記
「同情するなら金をくれ」
1994年と1995年に日テレで放送されたドラマ「家なき子」の中で、安達祐実演じる主人公相沢すずの言い放ったあまりにも有名なセリフである。
不遇な環境で生き抜く主人公の姿と個性、そして劇中でのこのセリフは当時、我々視聴者に強烈なインパクトを与え、その年の流行語大賞に選ばれるほどの大きなブームを巻き起こした。
そして世紀をまたいだ2011年現在も色あせることなく、ドラマ史に燦然と輝く伝説の名言の一つといえるだろう。
だがあまりに強いインパクトに加え、「お金」というある種のタブーに触れ、人間の心根に深くえぐり込んだ作品だったこともあり、どうしても腫れ物を扱うような無難な評価に落ち着きがちな印象も否めない。
個人的な感想だが。
とはいえ、最高視聴率が37%超というサッカーW杯にも匹敵する化け物じみた数字を叩き出すほどの人気作品であったことは間違いなく、僕の青春の重要な1コマであったこともまた事実である。
で。
いつものように前置きが長くなってしまったが、ここからが本題である。
「同情するなら金をくれ」
「家なき子」の放送が終了して15年以上。
主演の安達祐実もすでに29歳。
このドラマ自体を知らない世代も社会人となるほどに、時間は経過している。
いくら有名なセリフとはいえ、あの頃の鮮烈な印象のまま覚えている人がどれくらいいるだろうか。多少淋しい気もするが、ある程度の風化は受け入れざるを得ない。
そう考えるのが普通だろう。
はっきり言わせてもらおう。
僕からすれば甘い。
まったくもって甘すぎる。
「同情するなら金をくれ」
このセリフは今も生き続けている。
我々の生活の中で。
ごく身近に。
手を変え品を変え、工夫を怠らずにうまく世間に浸透している。
そのことに気づいている人が今この日本でどのくらいいるだろう。
まことに嘆かわしい話である。
仕方がない。
盲目的な世間の目を覚ますべく、今こそ僕がその一端を白日の下にさらしてみせようではないか。
●動揺するなら準備しろ
読んで字のごとくである。
備えあれば憂いなし。
いざというときに涙目にならないようにあらかじめ準備しとけよという教訓。
というより、落ち込んでいる彼に投げかける、ドS丸出しの言葉である。
●道場破りの成れの果て
道場破りに来た我流の腕自慢が、その道場の下っ端門下生に一本背負いで投げ飛ばされる様を言う。
のびきったピノキオの鼻っ柱は折れやすくなっているので気をつけろよと。
中学時代、「俺、ぜってードラフトでプロ入りする!」と豪語していた野球部の努力嫌いの先輩Kさんにかけてあげたかった言葉である。
●どうでもいいけど走ろうか
今の君に必要なのはとにかく運動だ。
何も考えずに身体を動かせば、いずれいい考えも浮かぶだろう。
小細工を弄しても彼女は振り向いてはくれないのだ。
●どうして彼だけ誉められる?
根本原因は自分にあることを自覚しなくてはいけない。
君には「ロッキー・ザ・ファイナル」を穴の開くほど観ることをおススメする。
●同棲するなら土下座しろ
お父さんは気難しいぞ。
ジャパニーズDo・Ge・Zaの出番だ。
江戸っ子の十八番を見せてやれ。
●本番だけなら参加したい
かのMJことマイケル・ジョーダンは言った。
「すべてのシーズンをキャンセルしてプレーオフのみに出場したい」
のちに彼はこの発言を撤回することになる。
準備の大切さを逆説的に提唱した格言といえるだろう。
●どうも無理かも知れないです
おじさんはその日本人的な曖昧さが好きだ。
●Do it yourself
僕一人でできるもん。
そんな意味を含んだ隠語。
●Do As Infinity
解散と再結成を繰り返している音楽ユニット。
この不安定さは安達祐実演じる相沢すずの怨念が少なからず影響していると考えるのが妥当である。
思いっきり上から目線でウソついてみました。
誰も得しない感じで。
楽しいけど、あまりにバカバカしいのでそろそろやめときます。
とりあえず、一つ問題があるとすれば、
僕が「家なき子」を
一度も観たことがない
ってことくらいかな。
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